ブックオフを肯定せよ!

先日のtom-o-takeさんのエントリー(こちら)で紹介されていた、cinra-magazine(→URL)のBOOK OFFを肯定する、という特集が非常に興味深い。僕はブックオフが大好きで週に2回くらいブックオフに行くいわゆるヘビーユーザーだ。はっきりいって東京23区のブックオフなら行ったことがない店舗はほとんどないくらいだ。だから出版社は向いていないし、僕の敬愛する曽我部さんが旅先でブックオフを必ず覗くという話を聞いたときは、僕と同じだ!と興奮したものだが、まあそれは今はおいておこう。
だから、このフリーCDマガジンに書かれているような、スタイルが違う店舗が存在することは、経験則的に知っていた。その代表例として、高田馬場ブックオフがある。高田馬場は大学があるので、やはり一番行くブックオフなのだが、特にちっちゃい方のブックオフが凄い。
ある程度本を読む人が、一般的なブックオフに求めるものは「お宝発見」的な要素ではないだろうか。ブックオフに対して、ある見下した感情、すなわち「彼ら(=店員)程度に本の本当の価値がわかるはずもない」といった感情は存在していないだろうか。だからこそ、神保町の古書屋では高い値段がつけられている本が、ブックオフならばそれとは比べものにならない値段で(一般的なブックオフでの価格設定はその価値にかかわらず、定価の半額+αといった程度の設定がされている)、さらには100円で!手に入るという期待があるのだと思う。僕はこの点については否定する気もないし、もちろん僕もそうだ。
だが、フリーCDマガジンにかかれているように、一概にそうとは言い切れないのだ。江古田店や高田馬場店などは、一度行ったことのある人は当然知っているだろうが、特別だ。まるで早稲田界隈の古書屋変わらず、意識的に価値のある、と考えられている本を揃えている。それらの店はこのホームページで宣言されるように、本は中身だ!というスタンスで店が経営されている。

1:私たちは本のきれいさだけを追っていません。
2:私たちは男は愛嬌、女も愛嬌そして「本は内容」だと考えます。
3:私たちは良い本は高くあるべきだと考えます。
そのためにスタッフは読書はもちろん新聞雑誌などの書評欄で勉強しております。

例えば高田馬場北店(大きい方)では、絶版文庫特集などが常に組まれているし、戸山口の小さい方(僕が特に好きなところ)では現在、春の読書フェアと称して、いわゆる哲学書現代思想書など他のブックオフでは手に入らない本を特集している。ロラン・バルトが15冊も横に並ぶブックオフが他にあるだろうか。僕は神保町の有名な古書屋でもこのレベルの品揃えは滅多にお目にかかれないと思う。ここには僕たちがイメージするブックオフはもはや存在しない。明らかにその様相を変えてきている。
嫌いなら、行かなければいいだけの話だ。だが、嫌いという理由だけで、僕たちに、「100円で売っちゃってる文学全集を買って、そこから古典文学への興味が湧いたとしたら、こんなに素敵な話は無いだろう」という言葉を本当に否定できるのだろうか、と僕には思えてしかたないのだ。否定する前に、一度これらの店を訪れてからでも遅くはないのではないか。本当に出版文化を潰すのは、ブックオフを否定し、「大衆に本を読むチャンス」さえ与えない、その考えの方ではないだろうか。本を読む機会を奪われた人が、一体どうして本の魅力がわかるはずがあろうか。

とゆうわけで今日も早稲田界隈の古書屋からブックオフ戸山口店の黄金はしごしてきました。また一万円飛びました。古書屋ではアブデルケビル・ハティビなど購入。戸山口店ではレヴィ=ストロースの『野生の思考』など購入(すいません、「他者」について研究するとかいっときながら、未だにこの本を読んだことがなかったという失態)
僕はブックオフを全力で肯定する。

異邦人のフィギュール (叢書 言語の政治)

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野生の思考

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ひとつ上のアイディア。

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