映画

a)太陽(アレクサンドル・ソクーロフ)★★★★
b)非情城市侯孝賢)★★

a)まさに待望の日本公開というコピーが相応しいだろう。そして言わずもがな必見、見逃し厳禁の傑作。この映画を僕が語るには、あまりに知識が不足しているので、他の先輩方にお任せするが、特に気になった場所を拾っておく。
ほとんどが地下壕か皇居、マッカーサーの住処で語られる室内劇であるが、その中で非常に印象的に使われる舞台、皇居の庭。数少ない屋外のシーンである。米国人はこの庭を評して、「外は廃墟だが、ここだけは楽園だ」という。庭が使われるのは二カ所。ひとつは天皇ヒロヒトが米国軍に車で招聘されるシーン。ここでは、おそらく皇居の外を全く見る機会が与えられなかったヒロヒトが悪夢(魚・海洋類、のような兵器が、空爆で町を破壊するという)で想像した、そして米国人が「廃墟」と評した、皇居以外の日本を、米国に連れられて、初めて彼は目撃する。ヒロヒトは車の中から日本を見て、悪夢は悪夢ではなく正夢だったことを知る。(悪夢において、ヒロヒトが守るべき日本が、彼の愛する魚に空爆されていたことは皮肉である。)
もうひとつの庭のシーンは、ヒロヒトが米国記者によって写真を撮影されるシーンである。写真にうつるという神格化の否定ともいえるこのシーンの重要度は言うまでもない。ここでのヒロヒトは、まさに現人神とはかけ離れた存在として描かれる。米国記者は、指揮官の下で、「テンノウヘイカ」と呼ぶように訓練されるが、記者は練習もせず、侍従長天皇と間違って撮影する始末。そして後にひっそりと記者たちの前に姿を現したヒロヒトを記者たちは、しばらく存在に気付かず、そして、「あれは誰だ」と言う。神であったはずののヒロヒトは、その瞬間、もはやただの芸人と同じ。その動きから、記者からは「チャップリンだ」と言われる。そのチャップリンを、撮影している記者に対する指揮官の言葉は印象的である。彼は記者たちに対して、「Shooting」「Shoot」と繰り返す。字幕で「規則に従って撮影してくれ」というのは「規則に従って撃ってくれ」と言っているかのように、あからさまに何度もその言葉を、米国軍の指揮官によって繰り返されるのである。我慢できなくなった侍従長によって写真撮影が中断され、皇居に入るヒロヒトは、米国人に対してこう問う。「わたしは、そんなにあの俳優に似ているかね。」米国人は「映画を見ないのでわかりません」と返すが、それに対してヒロヒトは「わたしも」と小声で答える。そこで机の中に大事に、家族の写真と同様にチャップリンやハリウッドスターのプロマイドをしまい、マレーネ・ディートリッヒに口づけたヒロヒトの姿をぼくらは思い出す。




最近映画が活性化しているような気がするのだが気のせいか。というかぼくの行く映画がことごとく混んでいる。異常なくらいここ最近。まずはアテネで行われた黒沢清の特集上映の異常な入り。一昨日、せっかくだから『カーズ』を見ようと思って行ったらシネコンが満席で見れず。そしてBOW30映画祭。オリヴェイラやドライヤー、アンゲロプロスのためにとっておいた前売り3回券は、予約をちょっとめんどくさがった俺の怠慢さによって、見ることはできなくなった。(なんと、それらの映画は最後に仕方なく余った『りんご』と『デッドマン』になることになるのだが、それがとれたことでさえも運が良かったのだろう。それにしても別に見たくない。まあニールヤングを聴きに行くと思えばいいのだろうか。)そして今日の『太陽』。超混雑の太陽は20分前には既に完売しており、いったんは諦めたが、「立ち見ならごらんいただけます」のアナウンスが耳に聞こえ、走ってチケットを購入。もう平日もファーストデイも何も関係ないのね、最近の映画館。夏休みだからか?でも学生が多いってわけでもないし、うーむ。(学生は『太陽』のチケットを購入したとき、同じく銀座シネパトスでかかっていた『ラブ★コン』のチケットを買っていた。)シネコン映画でもないのに、こんなけ映画館が流行るのは配給を目指すものとして嬉しいが、自分の見たい映画すらも全く見れなくなるのはちょっと流行りすぎかも。うーむ。
と、とにかく『太陽』は『キングス&クイーン』『ウォーク・ザ・ライン』(あれ今年だっけ?)と同じく、今年度決して見逃してはならぬ映画5本には入ると思うので必ず見るように。銀座シネパトスは、電車が通るたびに劇場が揺れ、ガタンゴトンと音が響く、今時珍しい映画館で、最初は違和感を感じたが、きっと70年代の名画座とかはみんなこうだったんだろうな、と思うとテンション上がってきて、ちょっと映画狂の気持ちがわかった気がした。