映画

a)神よ!神よ!滅びを告げよ!(氏原大)★★
b)怯える(古澤健)★
c)鼻の穴(稲美一茂)★★
d)みつかるまで(常本琢招)★★★

いよいよ待望の1stCUTが始まったので、映画美学校関連を漁る。が、上映トラブルに巻き込まれまくって軽くムカムカ。まず美学校スカラシップで撮られたa)が上映が30分押しになる。余裕でユーロスペースで始まる1stCUTに間に合う予定だったが、結局1作目に軽く遅れる。受付のお姉さんに迷惑かけてしまった。が、断じて俺のせいではないよ。それにしてもユーロでバイトしてる子は可愛いよね。そんでb)とc)の上映中にも、電源の問題とかで2回も途中で上映ストップ。この酷さにうんざりする。というか何より監督に失礼だろ。かわいそう。でも三本目の『みつかるまで』のキャメラが素晴らしい部分がいくつかあったんで元気を取り戻す。
しかし美学校はやっぱり凄いね。どれも(ぎりぎり)劇場公開に耐えれるレベルだ!うちではないよなー、そんな作品。しかし結局早稲田映画サークルの奴ひとりもいなかったんでだるくなる。だから圧倒的に負けてるんじゃないのか?ちなみに『怯える』の古澤健監督はシナ研とか早稲田映画サークルの先輩。




黒沢清とか青山真治が、最近映画誉めすぎなんじゃないかと友人が言っていたので、それについて語る。まあ最近見た黒沢清らが誉めている文章のやつだけでも『闇打つ心臓』、『まだ楽園』だとかバウスの爆音のやつ、『キングス&クイーン』とかね。友人で『まだ楽園』を観た人は相当酷かったと言っていた。僕は『まだ楽園』を見ていないので、評価はできないが、彼が言うのなら相当酷いのだろう。では黒沢清の言葉は、おすぎのそれくらい信憑性のないものになってしまったのか。僕はそうは思わない。むしろ僕は、黒沢清が映画を、たとえそれがどんな駄作であっても、誉めていること自体が嬉しく思うのである。
ここでヌーヴェルヴァーグの作家たちを思い起こして欲しい。彼らは、ほとんどの映画に対して厳しく批評し、そこから生まれた既存の映画に対する反抗心から映画を撮り始めたというのはご存じであろう。が、それほどまでに厳しい批評家であった彼らは、決して同じヌーヴェルヴァーグの仲間たちの撮った映画をけなす文章を書かなかったのである。ゴダールトリュフォークロード・シャブロルエリック・ロメール、その他全てのヌーヴェルヴァーグに属する作家たちは決してお互いの作品をけなさないし、ほとんど手放しで絶賛するのだ(もちろん、5月革命以降のトリュフォーゴダールに態度や、ヌーヴェルヴァーグであるとは疑わしいルルーシュへの批評なんかは除く。)またわかりやすい例としてあげられるのが、『ローラ』や『ロバと王女』らの大傑作、『シェルブールの雨傘』なんかの傑作を撮ったヌーヴェルヴァーグの作家であるジャック・ドゥミの『ロシュフォ−ルの恋人たち』は明らかにそれ以前の作品と比べると駄作と言わざるを得ないが(それでもふつうの映画とは比べものにならないほどの良作である。)、ゴダールらはとにかく絶賛した。(ここら辺の事情は山田宏一の著書に詳しい)なぜそんなことをするのだろうか。それは、彼らが共に闘う同志であり、お互いを刺激しあう良きライバルであり、そしてなにより友人であり、仲間であったからなのである!映画監督なんて一本こけたら監督人生終わってもおかしくないような生き方である。それを仲間が一本失敗したからって、そこで監督としての人生を終わればいいなんて望むものがどこにいようか。そんなものは本当の仲間ではない!であるならば例え嘘でも、雑誌に載る評くらいは絶賛してやる。批判なんて飲み会の場で直接そいつに言えばいいのだから。これが彼らのやり方である。なんて美しい話じゃないだろうか!
黒沢清青山真治ヌーヴェルヴァーグの作家たちのように仲間意識でそのようなことをしているのである。全く無名の仲間が撮った映画が、黒沢清絶賛のコメントがフライヤーに載るだけで、観客動員数がどれほど違ってくるか考えてみて欲しい。軽く10,20倍は動くだろう。であるならばたとえその映画が駄作だとして、それを誉めた黒沢清らの名が多少落ちるとしても、仲間のためなら彼らはそんな犠牲屁とも思わないのである。これは高橋洋西山洋市万田邦敏映画美学校の講師たちにも同じことが言えるのだが、彼らもとにかく身内の作品を誉める。もうびっくりするくらい誉める。『INAZUMA稲妻』や『ソドムの市』、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』が彼らうちに、絶賛されてない評を見たことがないくらいだ。きっと黒沢清の新作『LOFT』も絶賛されるのだろう。見る前からわかる。
今までに挙がった例を解説してみると、『稲妻』や『ソドム』『闇打つ』は美学校の同志として、そして自主映画時代、同時期にライバルとして競い合ったかつての友情が彼らに筆を起こさせるのである。爆音や、『キングス&クイーン』評は、青山真治黒沢清と大の友人である樋口泰人がプロデュースしているからであろう。彼らが3人でトークショーに出ることが多いことからも想像できる。今度のアルノー・デプレシャンナイトもそうである。『まだ楽園』も樋口泰人のつながりであろう。樋口自身はこの配給や宣伝は直接やっていないが、客が集まるか微妙なデプレシャンナイトがシネマロサで行われる→しかしこれは『キングス&クイーン』のためには樋口はやっておきたい→シネマロサもなかなかオッケイしない、多分交換条件としてシネマロサで上映される『まだ楽園』の宣伝をやってくれということを頼んだ(boidには樋口自身が関わっていないにもかかわらず『まだ楽園』の宣伝・リンクが張られている)→ならば、と黒沢清が樋口のために出てやったといったところであろう。これは完全に僕の推測であるが、あながち間違っていないと考えている。
さて、こういったことがわかった今、観客側としての僕らはどうすればいいのか。黒沢清らが絶賛していても、その映画には行かない方がいいのだろうか。それも一つの方法ではある。しかし僕らにはもっといい方法があるだろう。それは、たとえ1500円と2時間を無駄にしても、彼らの熱い友情に笑顔で騙されてやるというものである。