失意の僕にはこの映画を

<映画>

a)2番目のキス(ピーター&ボビー・ファレリー)
b)エリザベスタウンキャメロン・クロウ
 ●両作品ともビデオ、2回目。

b)映画は女である。グリフィスの言葉を引用するまでもなく、また『スージーの真心』のリリアン・ギッシュを見ていないとしても、僕たちが『エリザベスタウン』のフィルムの断片に一瞬でも触れてしまえば、誰もがその言葉が揺るぎない事実であり、覆されることはない、ということに気付くだろう。映画は女なのである。
そしてこの映画は、同時にもうひとつ大きな事実を教えてくれる。間違いなく女優にも「映画のための女優」とそうでない女優がいる、ということだ。そして『エリザベスタウン』という映画をここまで輝かせているキルスティン・ダンストは前者である、それも現代を代表する映画女優である、ということも。世間で『スパイダーマン』がブームになったとき、一部の間で熱狂的な人気を誇っていた彼女は、「ブス女優」という決して名誉ではない愛称で呼ばれることになる。「ブス女優」。一度でも、彼女の静止画を見たことがある人なら気付いているだろう。確かに彼女の写真はかわいくないのだ。驚くくらい。だが、どうだ。フィルムの中で自由に躍動する彼女の美しさは何だ*1。『エリザベスタウン』を見たもので彼女に恋をしない人はいない、と断言できる程に彼女はあまりにも美しい。…なんかごちゃごちゃ難しげに書いたけど(そーでもないか)、とにかく僕はキルスティンが大好きです!とゆうことですよ、伝えたかったことは。
さあ劇場で彼女の姿を見なかったことを後悔しつつ、たぶんもうスクリーンで見れる機会はあんまないだろうし、ビデオでもいいから見るべし!キルスティン最高!!たとえビデオであったとしても、僕たちは『ムーン・リバー』が流れて、スーザン・サランドンがへたくそなタップを踏むシーンで、自身の映画史的記憶と人生史的記憶を、ミッチの死と重ね合わせ涙を流すことは可能であるのだ。必見。

*1:ただし『スパイダーマン』シリーズのMJ役がフィルムの中でもあれほどかわいくないのは、監督の演出力の無さに起因するとも。サム・ライミは女優を適当に考えすぎである。同様に、この指摘は『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのキーラ・ナイトレイにもあてはまる