矛盾を抱えた映画たち

映画

a)ミリオンダラー・ベイビークリント・イーストウッド)★★★★
b)X-MEN ファイナル・ディシジョンブレット・ラトナー)★★
c)ロード・オブ・ドッグタウンキャサリン・ハードウィック)★★★

a)照明という観点から、『ミリオンダラー・ベイビー』を見ろというご指令を頂いたので挑戦。4回目の観賞。1回目はふつうに、2回目はアメリカとイーストウッド映画、3回目は『許されざる者』と『ミリオンダラー・ベイビー』。
さて照明の当て方を見れば顕著に光と影を作り出しているのは誰にでもすぐにわかる。ここまで強烈に明暗をつける映画はほとんど見たことないくらいである。ならばそれは無意味なわけはなく、照明という重要な効果に何らかの意味が付与されているのは当然であろう。見れば、ほとんど屋内で撮られるこの映画は序盤から、イーストウッドの顔がまともにはっきりと映し出されるシーンがほとんど無い。照明というものの最大かつ最も基礎的な目的は屋内でも俳優が美しく撮れるようにという理由である(これについて現在では変容されているだろうが)ということは、照明によって影を作り出すこの撮影方法は、本来の目的とは異なった何らかの意味を作り出していることを確かなのである。ただ悔しいことにはっきりとこうだ!という結論が自分の中で出なかったので、推論だけ書いておく。
イーストウッド演ずるフランキーと、ヒラリー・スワンク演ずるマギー。まさしく師弟の関係であり、物語が進むに連れて、マギーは勝ち上がり、そして二人の関係も師弟以上のものとなっていく。しかし、マギーが成功し、二人の仲も特別なものとなっていき、物語的にも絵を描いたような幸せな話として進むにも関わらず、我々観客の頭には常に不安というものがつきまとう。それは破綻の予感である。二人がどんなに幸せの階段を進んでいようとも、なぜか我々の頭にはいつこれが崩れるのかという考えがつきまとい、そしてハッピーエンドでは終わらないことを確信してしまうのである。なぜだろうか。ここに照明の効果が強く出ていることがわかる。ふたりが並んで話しているいくつもの場面、常に二人の顔には影がつきまとい、はっきりと映し出されることはない。そして同時に二人の顔の半分ずつが影となっているのに気付くだろう。これがどういう意味であるかは、イーストウッドが彼女に捧げた言葉「モ・クシュラ」の意が告げられるラストでようやくわかる。「愛する人よ、お前は私の血だ。」つまりイーストウッドはこの映画の監督としてこのセリフを言うことで、フランキーとマギーがひとりでは生きられないもの、つまり二人で一人であるべき存在として描いていることがわかる。それ故にお互いの顔が常に半分ずつしか映し出されていないのである。そのラスト、フランキーがマギーを殺すというシーンはまさに自己を殺すこと、自殺と同義であり、その証拠として病院を立ち去るフランキーの顔は真っ暗で、まったく映し出されることはない。そのあともジムにフランキーは帰ってこず、結局観客に結論を投げかけた形になったラストまで姿を現すことはない。あの店の窓の奥に映る男がフランキーであるかは我々ひとりひとりによって結論は異なるであろう。
みたいなことを考えた。が、まあ推論です。ただこの映画が様々な意味で今までのイーストウッド映画と異なっていることは確か。そして大傑作であることも確かと最後に記しておく。



b)これは「矛盾」の映画だ。登場人物はそれぞれほぼ全員が、自己の矛盾について悩む。それは序盤、とってつけたように(ご都合主義と言い換えるべきか)ファムケ・ヤンセン演ずるジーンが、二重人格であったとチャールズに明らかにされることによって始まる。二重人格なんて思いつく限り最大の矛盾だよね。だって自分の中に自分ではない誰かが存在するのだから。それ以降は延々と「矛盾」について語られる。例えば、ジーンはスコットやチャールズを「愛しているのに殺してしまう」し、ラストで逆にウルバリンはジーンを「愛しているが故に殺す」のである。散々「矛盾」について語られるので、一度ブレット・ラトナーイーストウッド映画が好きか聞いてみたいところではある。だが、同じテーマで描いているのにどうしてこうも差が出てくるかはつらいところではあるが。
だが、この物語は「キュア」と命名された、ミュータントを人間に「治す」という薬の存在により劇的(ごめん言い過ぎ)に面白くなる。つまり人間の立場からミュータントを見たこの発想。「我々が正しく、我々以外の他者は野蛮である。だが、他者も我々と同じく人間である。我々は心優しいので、彼らを受け入れ、彼らをまともな人間に治してあげよう。当然彼らもそれを望んでいるであろう。」という、すなわち外質的共同体の発想で話が進められる。ああ、こんなところでも欧米の植民地主義と同じ考えが使われているのか、と軽くショックを受ける。が、主役はもちろんミュータント。語り部もミュータント。となるとこの欧米では当然の考えが、一気に植民地側から語られるようになるのと同じく、観客としての我々はミュータント側に気持ちがいつの間にか同調している。やっぱ映画のプロパガンダ効果って怖いなー、とかどうでもいいことで感動した。てゆうか完全に話それてますね。まあいいか。
とにかく「キュア」のお陰で単なるアクション映画とは一線を画した出来の佳作であるので映画館でかかったら見てみるといいです。『スパイダーマン2』が面白かったように。どうでもいいけどあの終わり方は4あるよね。絶対。





さて今日は『X-MEN ファイナル・ディシジョン』の試写会がうちの大学でやるってので行ってきました。なんとあのヒュー・ジャックマン(とファムケ・ヤンセン)が早稲田に来るって、そりゃあ行くしかないでしょう。だって『ニューヨークの恋人』でヒュー様に一目惚れしてからの大ファンですもの。ミーハーですみません。いやあヒュー様かっこよかった!!握手までしてもらっちゃって超感動。リアル八頭身野獣系王子様と俺のタイプまっしぐらでした。(僕は女の子が好きであることは一応言っておきます。僕を直接知らない人も見てくれてる方には多いと思いますので一応笑)いやほんと映画サークル役得です。Fくんありがとう。
でもほんと彼の言ったことを今日いた「映画を学ぶ学生たち」はちゃんと深く考えて受け取って欲しいね。「映画を撮りたいなら、映画を見るんだ。古い映画とか名作映画も浴びるように見なければならない。」もう本当よく言ったよ、ヒュー・ジャックマン!俺の気持ちを代弁してくれた!まさかハリウッドスターにこんなこと言われるとは全く思わなかったけど笑 頼むから映画撮る人は、映画見て下さい。というか映画見てないのに映画撮るのはやめて下さい。本当見る側としてはそうゆう映画めちゃくちゃうざいんです。自分の撮った映画をDVDに焼いて棚にしまっておくならいいけどね。上映会とか映画祭とか出すなよ、と俺は言いたい。ちょっと愚痴っぽくなっちゃって嫌なんですけど。軽く過去1年くらいに見た学生映画を総括する意味でも。
例えば長回しひとつとってみる。早稲田の学生映画でまともに退屈しないで見れる長回しなんて1,2回だったよ。95%の長回しはほんとあくびが出るくらい退屈。だって長回し使うメリットがわかってないで使うんだもん。しかも一番可哀相なことが、撮っている本人がその長回しがつまらないということに気付いていないという。なにアンゲロプロスがやってるから?知らないよ、ほんとにあんたアンゲロプロスの映画「まともに」見たことあるの?とりあえず彼がやってるから意味もわからず長回しってのは本当やめて下さい。意味のない長回しなんてものはそのメリットを全部消して、ただ異様に存在するデメリットを作り出すだけだってことを何もわかってない。だって本来、映画を最初に撮り始めた頃は全部長回しだったんだよ。カメラをおいて録画を開始すれば、長回しになるんだからそれは当然。じゃあ何故カットを切るという手法が産まれた?それは長回しにデメリットが大きすぎたからでしょう。その点ハリウッド映画を見習うべき。全く長回しなんて存在しない。ただアンゲロプロスとか長回しとかかっくいいなってイメージだけで使うのは、もうほんとやめてほしい。そうゆうのは全部映画を見てないから起こることでしょう。映画見てる人は、意味を持たない長回しがどれほど危険かなんてわかってるはず、だから使うのならばよく考えて使えるでしょう。
5月頃に新入生にどんな映画撮りたいのって聞いたら衝撃の答えが返ってきた。「20分ぐらいのホラーを撮りたいんですけど、全くカット切らないで最初から最後まで全部長回しで!」……まあそりゃあ全く映画を見ていない新入生だからね、優しく教えてあげましたよ。でもほんとに全く映画を見ていない子だってので、「長回し」という言葉すら知ってることが不思議に思えて、聞いてみたのよ。何でその言葉知ってるのって。そしたらね、他のサークルの5年生の某先輩にそうしなきゃ面白くなんないよ、と教わったと仰る。もう衝撃的でしたよ。それほど新入生にいい映画を撮らせたくない教育がなされているのだろうか。
あーなんか愚痴っぽくて申し訳ない。とりあえず僕が言いたいことは、あまりにもみんな映画見てなすぎなんで、ちょっとやばいよっていいたいだけです。だって『キングス&クイーン』見た映画サークル生、多分2人くらいだぜ。俺があれほど言っているにも関わらず。

あ、なんか随分話がずれちゃったが元に戻すと、試写会のあと他サークル部室行ってシャンテシネでバイトしてるMくんからBOW映画祭の前売り頂いて、爆音行きました。というか『ロード・オブ・ドッグタウン』死ぬほど面白かった。かっこよすぎる。最高。『Dogtown&Z−Boys』もむちゃくちゃ見たい。まさかこんなに面白いとは思わなかった。爆音抜きにしてもね。