映画

a)夜よ、こんにちは(マルコ・ベロッキオ)★★★★
b)変態家族 兄貴の嫁さん(周防正行)★

a)必見。今かかっている映画の中ではたぶん一番いい。これが観客5人で、ミヒャエル・ハネケの新作がきっと常に人入ってるんだろうなと思うと救われない。
キリスト教民主党のモロ首相を拉致した4人の男女「赤い旅団」を描く。革命という大義名分で首相を拉致した「赤い旅団」のメンバーは、アパートの一室から外に出ることはほとんどない。部屋はカーテンに一日中閉ざされ、光を遮断し続ける。モロ首相は、狭苦しい隠し部屋に拉致され、外に出ることは出来ない。登場人物たちは主人公の女性をのぞき、外との接触をほとんど持たない。何度も挿入される(というより音声に至っては常に流れ続けている)、彼らと唯一外とを繋ぐ手段であるテレビの映像と音は非常に印象的である。彼らは外の情報のほとんどをこのテレビのニュースで入手する。彼らのいう革命が、外ではテロリストであり、殺人者であると認識されていることもまたテレビで知ることになるのだ。ここで非常に対比的に描かれるのが、主人公の女性である。図書館で働く彼女だけは、登場人物の中で唯一、外との接触が可能である。アパートにこもり、テレビのみの情報で現実を見ようとしている3人の男と、彼女。その示唆的な対比が、すれ違いを徐々に生み出す。そのすれ違いとは、すなわち文字通り革命に対する考え方のすれ違いであり、見えている世界、すなわち「現実」と「幻想」のすれ違いである。場面中に何度か彼女にだけは、「幻想」の世界が見えることとなるのだ。この作り方が非常にベロッキオはうまい。彼女の眼にだけは、モロ首相が隠し部屋から外に出ている姿が見えるのだ。これはもちろんラストシーンの暗示になるのだが(このラスト、街を歩くモロ首相の映像がとにかく美しい!!のだがこれはまあおいておこう)、彼女が幻想を見るときは、同志の男たちは常に眠りに落ちており、ラストだけはその逆に彼女だけが眠っている。これも非常に象徴的である。「現実」と「幻想」それをまさに視る映画なのである。劇中に幾度となく登場する眼のクローズアップ。いやーなるほどな、と。とにかく素晴らしい。彼女が冒頭の新年を祝う花火のシーン以降笑うことがなくなるのは、また僕を憤らせるのである。あとピンク・フロイドがまじぶっ飛ぶ。


b)いやー笑った。周りの観客がほとんど笑っていなかったのは、やはり小津を観ていないでポルノ目的に来たからなんだろう。もうそれほどまでにまんま小津映画なのである。だって晩春とか東京物語のセリフがそのまま使われるんだぜ。ショット、構図、演出どれをとっても小津的であり、周防がどれほど小津を愛し、オマージュしているのかが分かる。そう観てると、「そうだのう」と言う大杉蓮はもう笠智衆にしか見えず、兄貴の嫁さんは原節子にしか見えないのである。ここまで来たら僕の妄想はもはや止まらず、原節子のセックスシーンを見ているような気になり、自慰をする原節子なんてレアリティ高いなあとか興奮してしまうのである。
で、やっぱり予想通り全然エロくはないんだけどね。