人生で最も感動した、今日の授業。授業中にあまりに考えさせられて涙が流れてきたのは初めてだったろう。早稲田教育学部の『異文化交流・接触論』。敬愛大学からの客員教授の水口章教授のイスラームについての授業である。もともとイスラームというテーマにとらわれず、様々な視点から非常に興味深い話を聞けたので、非常に大好きな教授だった。僕はこの間の春休みに、エジプト、ヨルダン、シリア、レバノンを旅したので、特にイスラームについてのその授業に惹かれていた。旅のことを思い出すのである。僕は1ヶ月ほど、バックパッカーをして回ったそれらの国々でイスラームの人々のあまりの優しさに触れ、中東がどれほど素晴らしい国であるかを実感したのである。僕はイスラームの人々を、中東を大好きになったのだ。
しかし、旅から帰って日本の現実にぶち当たった。まずは成田空港の関税所だ。どこへ行ってきたのだと聞かれ、それらの国へ行って来たと答えると、成田の職員は「シリアー?」と疑わしい目で僕を見た。そのあと僕は後ろに担いだでかいバッグパックを下ろし、中を全部チェックされることになる。もちろん旅の間中延ばし続けたひげ面が怪しかったのかもしれないが、あれほど平和を愛し、優しい人ばかりしかいなかったシリアが成田の職員に疑われるのだ。日本人に旅の話をしてみても、返ってくる言葉は毎回これである。「危険な国へ行ったね」「テロとか大丈夫だった?」と。なんだろう、この現実は。僕はひどく衝撃を受けたものだ。あれほど素晴らしい国々の日本からのイメージはこれほどか、と。中東よりもアメリカやヨーロッパの方が圧倒的に危険なんじゃないかというのが、正直僕の思うところである。
養老孟司のいうY=aX(Y=反応、a=係数(知識、経験、etc)、X=情報)だという説明の通りなのだ。僕は『バカの壁』を読んで、全体的に養老孟司という人は好きではないが、人間の反応論と専門バカについての話は納得させられた。上の式は「知識や経験などの係数、もしくは対象の情報が不足したり歪んでいたりすると人間の反応も歪んでいくという考えである。」この場合の日本人の反応はまさに、自己の中東やイスラームに対する情報不足、連日の戦争やテロなど偏った情報資料の享受、中東に対する知識の欠如などから反応も歪んでいくのである。
特に僕が衝撃を受けたのは、家族とどういう理由だったか忘れたが、宗教の話をしているときである。ふだんは真面目な話なんか全然しないのだが、そのときはなぜだかイスラームユダヤ教キリスト教になり、宗教改革によって再び神との関係性を1対1にした最後の宗教なんだとかいう話をしていた。現実にキリスト教の信者は減り続け、イスラームは現在信者の数が増えてきていて2050年には世界最大の宗教になるという。なぜ増えているかは、キリスト教イスラームに変わったのと同じ理由だ。しかしそこでうちの母親はこう言ったのである。「イスラームがどうして凄いのかはわかった。でも、イスラームは戦争をする平和主義でない宗教ではないか」、と。僕はそんな風な目で見られているのか、と悔しくてしょうがなかった。きっとほとんどの日本人はイスラームをそのような目で見ているのだろう。それこそ典型的なステレオタイプに過ぎないのだが、僕は悔しくてしょうがなかったのだ。僕は当然「いや本来イスラームは平和を愛し、争いを行わない国なんだ」と答えた。母親はしかし、と続けた。「現実にイスラエルパレスチナは争い続けているし、イランやイラクもうそうだろう。」と。それに対し、僕は答えられなかった。確かにイスラエルパレスチナの問題や、イランイラクの戦争、テロについて歴史的な経緯の説明をし、それがイスラームのせいでなく、宗主国であったヨーロッパのせいにするのは簡単である。イスラームはそんな国でないというのは簡単であり、うちの母親を納得させるくらいのことなんて、赤子の手をひねるようなことだった。しかし僕は答えられなかったのである。個々の事実を説明して母親を納得させたって、そこには心の底でイスラームが戦争をする国だというステレオタイプが僕の中に残っていることに気付いてしまったのである。日本人がそういったイメージを持っていることなんかより、そのことの方が全然悔しかった。自信を持って説明できない、のである。そこにあまりに知識不足を感じて、悔しくてしょうがなかったのである。ゼミで異文化コミュニケーションについて専攻している僕は、なるべくステレオタイプを排し、多様な観点でものを見るという特訓をしてきた。ある程度それができる自信はついていた。しかしその自信が簡単に、もろくも崩れ去った瞬間である。よりによって自分が卒論のテーマにサイードを選ぼうかと考えるほど深入りし始めているイスラーム、でだ。勉強しようと、もっと知識をつけようと思ったのである。
そのときにまるでステレオタイプを排し、イスラームを考える水口教授の授業は僕にとって、最高の相性だった。彼は今日の最後の授業で僕たちにこんな話をしてくれた。自分の経験からである。
レバノンの難民キャンプに行ったときのはなし、国連の紹介で行ったのだがちっちゃな長屋に家族が3人で住んでいたという。母親と小学4年と2年くらいの子供たちである。ふたりの男の子は、電球も暗い中、床で数学を一生懸命勉強していたそうだ。先生が母親に、お父さんはどうしたのですか、と聞くと母親は徴兵されているんだと答えた。生活費はどうしているんだ、と聞くと、国連の援助で生活しているんだと答えた。1日1$以下である。(世界で1日1$以下で生活する人々は約13億人。レバノンの物価は東京の3分の2程度である。)
先生は、しかし、あなたは幸せだ、子供たちがこんなに勉強しているのだから、と母親に言った。すると母親は声を上げて泣き出した、と言う。理由は簡単だ。レバノンでは難民で産まれてきた子供の救済措置は全く、ない。難民で産まれれば一生難民として暮らすしか道はなく、まともな仕事なんてできない。勉強の意味なんてないのだ。彼らがいくら頑張って勉強しようと、一生彼らは報われない、と。
先生はそこで自己の経験の話をやめ、こう言った。君たちには「選択の自由」があると。勉強すれば報われるのだ、と。だから一生懸命勉強して欲しい。そして4回手を叩いてこう言った。今人がまたひとり餓死しましたと。4秒間で1人の人が世界では餓死している。ぼくたちがワールドカップを1試合見ている間に、世界では1350人が餓死している。だから君たちには彼らの分まで、1秒でも多く勉強して欲しいと言ったのだ。

ぼくらには「選択の自由」がある。そして僕らの選択は報われる可能性がある。だったら僕は学ぼうと、深く心に決めた。人が死んで、その代わりに僕らは生きている。彼らの分までぼくらは生きよう。勉強しようと。中途半端なヒューマニズムが嫌いだとか、どうせ何も出来ないんだから偽善ぶるなとかすぐ言う奴がいるけど、俺はそーゆーこと言う奴のが大っ嫌いだ。すげー馬鹿みたいだけど、死んでいく彼らに何も出来ないから、その分自分くらいは勉強したいと僕は思う。ワールドカップは見るけれども。

シリアに行ったときの話だ。ひどく悲しくなったのだ。シリアの夜は寒く、服を何枚も着ないときつかったりする。そんな国の夜の歩道橋で、小さながりがりの子供が体重計を前に震えながら座っていた。最初何をしているのかわからなかった。ただ座っているだけなのである。そして気付いた。体重計に客にのってもらって、お金をもらおうとしているのだ。


以下に僕と一緒に旅に行った友人の文章を勝手に載せさせて頂く(申し訳ない!)

『僕はまたギシギシとうなる歩道橋の上を歩き出した。多くの人とすれ違うが、誰も僕が先ほど立ち止まっていた場所で歩を止めることはない。それは僕と同じように、あの歩道橋の隅でうずくまる小汚い子供を救えないことを知っているからだろうか。雨が降り、このくそ寒い三月の日に、ボロボロのシャツとズボンを着た裸足の少年。滑稽なくらい分かりやすい不幸である。
僕はホテルへの道を歩きながら、この忌々しい事実に悪態をつく。やっぱり平等ってのはインチキだ。あの子に優しい母親がいないなんてこと、どんな馬鹿でも分かるはずじゃないか。』



僕らにはなにもできないのである。見て、だからと言って何も出来ない。お金をあげようか。そのお金は彼の親父の酒代にはなるだろう。しかしあの少年のものには絶対ならないだろう。もしかしたら、あの子供が親父に1日は殴られないのかもしれないが。
僕はこんな状況がひどくつらいのである。僕らに何もできないからこそ、だからこそなのだ。だから僕は自分の服を買うためのお金を稼ぐバイトの時間を惜しんで勉強したいと思う。本を読みたいと思う。そしてもっと世界を知るために、もっと自分を知るために旅に出たいのだ。

ここで真面目な文章は締めさせて頂く。


さーて、まずフランツ・ファノンの『地に呪われたる者』を読まなければ。1週間くらいかけても序文が読み終わらない…。あ、その序文、サルトルが執筆しているのだが、ひどく衝撃を受けた部分があった。フランツ・ファノンサルトルもコロンに対する植民地人の戦争を肯定的に見ているという部分。戦争なんて、何があっても悪いもんだ、なんて僕は思ってるけど、新しい見方に驚いた。戦士が自己の人間性を取り戻すためにヨーロッパ人を殺すことを肯定していてさ。ヨーロッパ人をひとり殺すことによって、抑圧者と非抑圧者の自己を同時に殺せるという考え。自己の解放。なるほど新しい。

さてまたつらくなったら、あの授業を思い出して自分のモチベ高めよ。

地に呪われたる者 (みすずライブラリー)

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黒い皮膚・白い仮面 (みすずライブラリー)

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バカの壁 (新潮新書)

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水口先生のブログはhttp://blogs.yahoo.co.jp/cigvi2006
引用元の友人のホームページはhttp://homepage3.nifty.com/L-o-S/#