映画

a)もんしぇん山本草介)★★

a)もしかしたら傑作なんじゃないか。一回見ただけでは自信を持ってそうは言えないが。天草で、天草でというのをJから聞いていたために、天草を押し出したよくある地域映画なんだろうなぁ、漁してるとことか見せられるんだろうなぁとか、あまりよくないイメージを伴って大して期待せずに試写会に行ったのだが、これは全くの僕の思い違いだった。
冒頭、主人公のハルは街へ向かうバスの中で突然つわりをもよおしバスを飛び降りる。バスを飛び降りたハルは、不思議な印象を与える女ちいと、草船に導かれて、ある集落に辿り着く。その集落は周りを海に囲まれ、街とは繋がっていない。集落の人々はひとつの家にみんなで暮らし、「私たちもよそものだから」「ここには小さな白い舟に導かれてやってきたんだよ」と言う。この映画の凄いところは全くもって地域性を消し去っているところである。ここは日本の地図にすらきっと映っていない、どこか別の世界。島。そう、この島自体が海という羊水に囲まれた母親の体の中。ハルが島を出ようと思っても、島、という母親が、まだ産まれるには早いのよ、とハルに島を出させることはしない。中盤のパーティーのシーン、島に迷い込んだちいの夫であるおじいさんが「うーみーは広いなー大きいなー」と歌うところが、胎児であるこの島の住人たちを象徴する。母親の大きさ。そしてハルも、自分が産まれる(=すなわち自分が母親となり子供を産む決心がつくまでは)は島にいることを自然と決心する。また、後半で、ちいの声を上げることなく死んでいった子供が、ハルという名前であった、と語られるが、ハルがちいと共に浜辺に佇み、そしてハルが海へと消えていくシーンも素晴らしい。ちいは、あまりにも広い海(=羊水)へと消えていく、ハル(=すなわち一度死んでしまった自分の子供)を再び死なせてはなるものかと、この映画中、初めて感情的に自らが動き、声を上げる。海に浮かぶ舟は赤ちゃんの象徴であり、ちいは舟を掴み取った次のシーンでは、髪が真っ白になって、死んでしまう。ちいにとってこの島にいることは自分が母親となれなかったという理由からであり、ちいの物語はそこで昇華される。そしてラストシーン、ハルは島を出て街へと向かう。そこで初めてハルの物語は始まりを告げるのだ。
もんしぇん』八月から一角座にて公開。ヴァーグのイベントもよろしくお願いします。佐藤真さんをゲストにやります。


もんしぇん』会場で佐藤真と話す。むっちゃいいおっちゃんだった。かっけぇ。あと上映後に山本草介さんと映画について語らせて頂く。想像してた人と随分イメージが違った。なんとペドロ・コスタの演出助手をした経験があるそうで、興奮。後輩のYと飯を食い、いろいろ語る。そして半額になっていた地元のレンタル屋でたまらずもう一回見たくなった『ヴァンダの部屋』などを借りる。